

朝鮮1432年(世宗 14)に編纂された『世宗実録』「地理志」、江原道・蔚珍県条においても「于山、武陵の両島が真東にある」とし、東海上に武陵と于山の両島があるということを明らかにしている。1531年(中宗26)に編纂された『新増東国輿地勝覧』江原道蔚珍県条に「于山島、鬱陵島は県(蔚珍県)の真東の海上の中央にある」とし、『世宗実録』「地理志」の記録を受け継いでいる。独島は、朝鮮時代には、三峰島、于山島、可支島と呼ばれ、1899年(光武3)に、当時、中等課程の新しい教育機関で使われていた『大韓地誌』第一巻に含まれている地図、「大韓全図」では、鬱陵島の隣に「于山」と表記。江原道・蔚珍県に属していた独島を、1900年、高宗皇帝の勅令第41条により、鬱陵郡の一つの付属島嶼として公式に江原道に編入した。
行政地名として、「独島」という名は1906年、鬱陵郡守の沈興沢によりはじめて使われ、1914年、行政区域の改編により、慶尚北道に編入し、今日に至っている。現在、「独島」と表記されているのは、「寂しい島」、「独り島」ではなく、「トルソム<岩島の意>」が初期の移住民である全羅道の南海岸出身の人により、「トクソム」と発音され、「独島」と表記されるようになった。ソクト(石島)を訓読すると「トクソム」または「トルソム」となるが、現在も、鬱陵島の住民は独島を「トクソム」または「トルソム」録した。
と呼ぶ。一方、日本では明治時代以前には独島を松島と呼んでいたが、1905年、領土編入以降から竹島と呼んでいる。西洋では、この島を発見した船舶の名にちなんで名付けた。1849年、フランスの捕鯨船リアンクール号が独島を発見し、「リアンクール岩(Liancourt Rock)」と命名、1885年、イギリス艦船のホーネット号も「ホーネット岩(Hornet Rock)」と名付け、それぞれ海図に登

















